使うことがあまり無いのに私が英語を勉強する理由-カタコトレベルで停滞するも、視野が広がったこの数年のこと
読めるし 書けるし 聞き取れるけど 話せない
中学校の授業で英語を習い始めて、受験科目としての英語はずっと得意でした。
英語を話すのはまるっきりダメなのに、TOEICでも高得点が取れるのです。
就活の時も外資系企業を受けたら英語の筆記テストがあったりですんなり内定をもらえました。日本企業は何社受けても悲惨なくらい落ちていたので拍子抜けしました。
入社後も直接関わるお客さんたちは日本人だけだったので、アメリカ本社からの連絡や本社に提出することになる文書だけ英語で読み書きできていれば特に困ることはありませんでした。
入社3年目で本社と情報をやり取りする仕事を突然私がやることになり、前任者は新しい仕事で忙しく「やり方はマイケルに聞いて」で済まされることが多かったのです!
こうして突然知り合うことになったマイケル氏はとても親切な方なのですが、なにしろ外国在住のネイティブ・イングリッシュスピーカーなのです。
「わからないことはないか?電話しようか?」と私を気遣ってよくフォローしてくれるのですがなんせ英語。
電話での英会話は、会って話すのより難易度が高いですよね(ToT)
しかも私がやり取りすることになった情報は、データ量も膨大だし間違いがあったら一大事になってしまうという神経がすり減るようなシロモノ。
英語で電話する必要が無くなるように、私は詳細なメールを打って質問するようにしました。
その返事が突然チャットで返ってきたりするとそれもまた焦りました。そんなにテンポ良く回答できないものですから…
半年ほどしてその会社は辞めましたが、しばらくはトラウマで英語の何もかもが嫌になりました。
そんな時期のある週末に遊びに行った成田山で、私は外国人観光客におみくじの引き方を聞かれました。
そして私が取った行動は、、、
その場からの逃走 でした。
一緒にいただんな(当時は結婚前だった)は呆然としていました。外資で仕事してる人とは思えなかった…と後々もその時のことを持ち出してバカにしてきます。
仮に全く英語が話せなくても、おみくじを引く手本を示せば伝えられることなんですけどね。
当時は気持ちが完全にやられていました。外国の人と英語からはとにかく逃げたかったのでした。
英語と向き合おうと思った転機も成田でした
成田山で逃走した私ですが、その数年後、結婚と同じタイミングで成田にあるリラクゼーション店で働き始めることになりました。
その店で働いて1年近く経ったある日、外国のお客さんを担当しました。私が彼女の受け付けをしていたら、日本語がほとんどわからないし話せない人なことが分かって血の気が引きました。
無言でいると施術していても力加減が分からなくて不安だったので、英語で思い切って聞いてみました。彼女は過去にも何回かリラクゼーションを受けたことがあるようですが、日本語が通じないのでずっと話しかけられたことがなかったようです。なので話しかけられたことに驚きながらも喜んで答えてくれました。
相手が確実に喜んでいるのが伝わってきたおかげで、私も逃げ腰ではなくなりました。
うつぶせからあおむけになってもらうこともできて、全ての施術内容をやり切って自信になりました。
最後にお茶を勧める頃には丁寧な英語表現まで使えていました。自信をつけた後はもう、実力の最大限のところまでさらっと引き出されてしまうことに驚きでした。
そのお客さんはお店を出る時までずっと感謝してくれていました。英語の表現は日本語よりもストレートだし大げさだからなんとも照れくさいと同時にすごくうれしかったです。
こんな出来事があって、英語に対してすっかり折れていた心がまた前向きになりました。
英語の勉強をはばむもの(者?)
こうして、NHKのありとあらゆる英語番組を見る日々が始まりました。
英語アニメのリトルチャロもハマりました。
外資勤めの時にすがるように買った英語の本も整理して、使わなかったものは処分しました。
NHKに出演されていた大西泰斗先生の解説がわかりやすくて好きだと思ったので、大西先生の著書を何冊か買いました。
何の疑問もなくやる気にあふれていたのですが、だんなに「勉強してももう英語使わなくね?」と言われてしまいました。
成田のリラクゼーション店も辞めた後だったので、そう言われるとその通りなんだよなぁと意気消沈しました。
英語番組もたまに見る程度になり、英語は話せなくてもいいかなと思うようになりました。
こどもが生まれたのをきっかけに英語勉強を再開
息子には英語で苦労させまいと思って、1才になる少し前に英語に触れさせ始めました。
こども向け英語教育については他の記事にまとめて書こうと思います。
こどもと一緒に勉強するのは、私にとっても使える英語を身に付けるラストチャンスと思いました。
(追記)▼自分の息子への英語教育について書きました
あるアメリカ人女性との出会い
息子が2才を過ぎてからは、英会話教室に通わせました。そこで息子を担任してくれたアメリカ人女性との出会いは、それまでの私の価値観をぶっ飛ばしてしまうくらい刺激的なものでした。
彼女は私よりも2才年下ですが、精神的には私よりもずっと成熟しているように感じられました。
仕事は真面目にするけれど、日本人やこどもたちが大好きで進んで交流を持とうとしてくれました。生徒との個人的交流は勤務先的にはNGみたいだけれど。
彼女はうまく融通をきかせて私たち家族とも仲良くなってくれました。
何より、私の息子のことをいちばんのお気に入りの生徒だと言って本っ当にかわいがってくれたのでした。
彼女は息子に "I love you" を連呼したり、息子の小さな成長にも気付いて一緒に喜んでくれるのでした。
私もその気持ちに応えたくて、何よりも英語を優先させたと言えるくらいに英語を勉強した時期がありました。彼女と仲良くなり始めてから日本を去るまでの4か月くらいの間です。
そして、カタコトでなら伝えたいことを強引に伝えられるようになりました。
私は今まで、英語で自分から積極的に何かを伝えたいとこれほど強く思ったことはありませんでした。
仕事で使う英語では「伝えないといけない、間違ってはいけない」とか「話せないのは能力不足」という気持ちばかりでした。
英語圏の人と話して感じること
英語でコミュニケーションを取れるようになって得られるものがありました。
なんと言っても、英語圏の人たちの考え方に刺激を受けました。
彼らは自分自身のしたいことがいつでも分かっていて、判断がクリアです。長期的なことについても目の前のことについても、自分の軸に従って行動している印象を受けます。
私自身についても、彼らとコミュニケーションを取っている時は、伝えたいことを英語に表現することに集中することによって余計なことを考えずに済んでいることに気付きました。
日本語で話す時は相手に過剰に気遣ったりしてしまって、自分が伝えたいことに集中しきれていなかったんですね。
そんな私の場合、英語だと意思疎通の面ではかえってシンプルに済んだりしてしまいます。
考え方に違いがあっても、育った環境が違うからなぁといちいちイライラすることもなく相手のことを受け入れられたりします。
同じ日本人でもひとりひとり育った環境は違うから、そんな受け入れる心を発展させられたら小さいことで心が動揺しにくくなりそうですよね。
正しい表現よりも伝える意欲、そして間違える自分を許す練習
間違った表現やおかしな表現になったとしても良いということを英語を通して学んでいます。
4才の息子もまだまだおかしな日本語を話しますが、何を言おうとしているかはだいたいわかりますからね。
英語が母国語でない人がおかしな表現をしてもネィティブの人は気にせず汲み取ってくれます。
ただ、会話の空白時間には日本語では考えられないくらいの厳しさがあります。会話に詰まって少しでも間が開くと、その会話はそこで終わらせられてしまいがちです。
緻密な情報のやり取りよりも会話のテンポが重視される文化のようです。だからかえって細かい表現にはこだわらなくて良いとも言えます。
それでも!!頭では分かっていても完全には消えないのが、間違ったりおかしな表現になることへの恐れというものですよね。
私は完璧主義になりがちなのですが、英語を話す中でたくさん間違えて、間違えることに慣れたいと思っています。そして自分自身を生きづらくしている完璧主義から抜け出すきっかけをつかみたいです。
アメリカ人女性に聞かれて焦った質問
息子の英語の先生だったアメリカ人女性の話です。
彼女が自宅に遊びに来てくれた時に、息子はうれしくてテンションが上がってしまって下ネタに走ってしまったことがありました。
息子がチ◯コと連呼していたら、
What's チ◯コ?
と聞かれました。日本語のその単語をはっきり聞き取ってリピートしてくれました。
しかも息子じゃなくて私に真剣な顔で聞いてくるし。
ピンチな質問をされているのにも関わらずおかしくて笑いたい自分もいるし、この時の状況を思い出すとひたすらおかしいです。
そんなハプニングが生まれるのも異文化交流のおもしろいところだと思いました。