タテワレ・デイズ

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野性的な体で社会生活したい主婦のブログ 腹筋縦割れを再び目標に掲げ、今度こそまぶしい縦割れをものにしたい! でも横割れまではいらないかな お気楽なエコ思想がライフワーク 健康管理・子育て・自分のブロック解放などについて書いていきます

3回のメンタルダウン経験-メンタル部分のプロフィール的記事になってます

社会人になって以降、3回の大きなメンタルダウンを経験しています。

 

それで私は日々、なるべく適当に、図太く生きたいと思っているわけです。

バリバリの長女気質で真面目な自分にとってはそれがなかなか難しいことなんですが、3回目以降は長いことメンタルダウンせずにうまいこと行きながら現在に至っています。

 

1回目

1回目は24才の時。正社員で働いていた時でした。

出勤ならば朝9時に出社して帰りは終電以降にタクシー帰り、出張に接待など絡んでくるととことん不規則な生活になっていました。

 

転勤したり異動したりその度にあいさつ回りやらで接待ばかり。3年目にうつになって薬を飲みながら働いて丸3年働いたところで辞めました。

うつも会社を辞めたらすぐに治りました。そのすごい相関性には笑っちゃうくらいでした。

 

仕事をテキパキできなかった原因には私の幼い性格もありますが、仕事量は確実に多かったですね。

何より、会社の人にはっきりと自分の意見を言えなかったのが自分を病気にするほどのストレスになったんだと思っています。

 

怒られる筋合いが無い時には事情を説明すればいいのに、言い訳になるからとか、人のせいにしてるみたいで嫌だなっていう気持ちから、謝るばかりでした。

それが大人の対応だと思ってました。私がここで黙っておけば済むんだって、ひとつのテクニックかのように使っていました。

 

辞めた後は、派遣の仕事をしながら専門学校の夜間部に通いました。カイロプラクティックの学校です。

座学の後に実技の講義があって、その後同期と自主練習してもまだ22時くらい。会社勤めの時に比べてなんて有意義に1日の時間を過ごしているんだろう!と感動しました。

学校の後に同期と夕飯を食べに行ってカイロプラクティックについて延々と語りあうこともできました。

 

派遣の仕事でも人に恵まれて、いろんな人が昼休みや終業後に整体の練習を受けてくれました。事務所の書庫に折りたたみ整体ベッドを持ち込むことも許してくれました。

 

2回目

2回目のメンタルダウンは、リラクゼーション店で1年ほど働いた頃でした。27才の時です。

契約の時には聞いてなかったことも多々あるような、割とブラックな労働条件でした。

開店前の準備は無償労働、休憩も場合によっては短縮になりました。

お客さんが途切れないとトイレにも行きづらい職場でした。

勤務中に感じる吐き気とめまいがだんだん強くなって、やがて日常生活でもつらい状態になりました。

 

そんな時、ちょうど自宅の近くで開業している、整体のすごい先生に出会いました。リラクゼーション店を辞めて、そちらに弟子入りすることにしました。

教えてもらうのもタダ、賃金もタダ、掃除したりお客さんの整体に入らせてもらったりで良い勉強になりました。

…最初のうちは。

 

先生は、私に毎日勉強に来ることを重視する人でした。週末に友達や実家の家族と遊びに行く予定があって、2回お店を休んだら先生の態度が急変しました。

わざと逆のことを教えてきたりした時は、それは逆じゃないかと先生の使っている教科書を示してみましたが、先生はしばらく教科書をにらんだ後「教科書がまちがっている!」と言うくらい頑固でした。

もうひとりの弟子を私にいじめさせたりするのもきつかったです。

そしてまた精神的なところから来る吐き気がひどくなって、食事も飲み込めなくなって辞めました。

 

だんなには「アナタ、職場運が本当に無いよね」と言われました。

 

抗うつ剤は止める時にあちこち痺れてしまうので飲みたくなかったのですが、安定剤だけでは吐き気が治らなくてまたお世話になりました。

 

この時も、どうしてもその先生の技術を身につけたくて、逆らったりして教えてもらえなくなっては大変だからと多くのことを我慢してきました。

嫌がらせはあるけど、技術を身につけるにはもっとここにいなければならないと思いながら。

 

このパターンは絶対にダメですね。自分から必要以上に弱者になりきって何も言えないで溜め込むパターン。

こうして同じパターンで2回メンタルダウンをしたわけですが、3回目の影は全くの死角からやって来ます…

 

3回目は産後

2回目の症状が収まり、薬を止めることができると、それまでに子供を持つ覚悟も決めていたので妊娠へと進みます。

 

県外への里帰り出産だったのですが、実の母親と子育ての意見がとことん合わなくてぶつかってばかりの毎日でした。当時30才。ぶつかりやすいのはまだ継続中。

 

里帰りで実家にいるのが嫌になって、自宅に戻ると言っても「アンタがひとりで子育てするのは無理に決まってる!」と攻撃されました。

私が息子を抱いても泣きやまないのに、母が抱くと泣きやんだりするので、私自身も母が言っていることが正しく思えてきて無力感におちいりました。

それでも母からの細かすぎる指示にキレることも度々でしたし、「半年は実家にいなさい」と言われたのには全く従う気になりませんでした。

 

やがて常に吐き気がするようになってきて、体重もかなり落ちました。

結局は産後3か月で自宅に戻りました。

安定剤だけで落ち着けたので、今までよりは良かったかもしれません。

 

今までは母とは仲良く楽しい関係でやっているつもりで、それが自慢でもありました。

でも実はそれは、私が母の支配下で母の考えの枠の中で生きていたからだと気づいたのは最近のことです。

 

母と私がぶつかるようになったのは、母が年を取って頑固になったからだと思っていましたが、それは違いました。この本を読んでわかりました。

あなたは、もっとラクに生きられる 長女が“母の呪縛

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母からの自立ができていなかった私は、気付かないうちに自分の考えで行動するようになっていたのです。

これまた気付かないうちに私への支配を続けていたかった母は、私に自己主張をさせまいとして必死に阻止しようとしていたようです。

 

この本に書かれていることは私と母に当てはまることばかりでした。そしてぶつかる原因がわかってスッキリしたので、新しい関係へ進んでいけそうと思っています。

 

お近くの図書館にもあるかも!?

www.tateware-days.com

 

 

終わりに

なんか略歴みたいな記事になってしまいましたね。

精神的な病の部分の履歴です。

 

その後も、自律神経のバランスが崩れてそうな細かい不調はちょこちょこ出てますが。

これからはメンタルダウンになるほどのことは繰り返さないんじゃないかなーと思っていますよ。

昔より、相当適当な人間になれてるから。

 

追記 自分は問題を多く抱えている困った人なのではなくて、全ては過敏感な気質から来ているという大発見がありました

私が抱えている全ての問題は、敏感すぎる気質が原因のようだとわかってすっきりしました。

過敏感気質を持つ人(HSP)についての本を読んでそのことが分かりました。その気質と共存したり強みを活かしていくための具体的な取り組み方も紹介されていました。

これで全ての問題の根本に迫っていけそうです。 

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過去記事

もっと図太くなるのを目指しているので、宝地図にも書きました。本気で実現させようとしています。

 産後のことはこちらにも書きました。

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