マインドフルネスの練習《2週目》-「利き手でないほうの手」を使う(WEEK1)
次の本に紹介されている週替わりのテーマに沿って、マインドフルネスの練習をしています。
「今、ここ」に意識を集中する練習 心を強く、やわらかくする「マインドフルネス」入門
- 作者: ジャン・チョーズン・ベイズ,石川善樹,高橋由紀子
- 出版社/メーカー: 日本実業出版社
- 発売日: 2016/07/28
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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練習のお題は全部で53種類あります。
-今夜死んでしまうかもしれないと思って接する
-心からのほめ言葉を伝える
-メディアを断つ
…これらはハードルが高いような気がして今すぐに取り組む勇気が出せません。
うまく練習が進めば抵抗が減っていくものなのでしょうか?
そうであることを願います(^-^;)
2週目はソフトな感じがしたお題、「利き手でないほうの手」を使うに挑戦しました。
ただ、成果が出にくそうと思う面もあります。
私は右利きですが、実は部分的に左利きなのです。
こどもの時から、ぞうきんをしぼるのは左利きの向きに回さないとうまく絞れません。
私は体の重心を自然と右側にかけるんですが、これも左利きの重心の取り方です。
そんな状況ではありますが、実のある練習になるといいなと思って取り組みました。
練習期間の記録
練習を始めたところ、やはり左手でも身の回りのことがそれほど不自由なくできてしまいました。
左手でおしりを拭くのも初体験でしたが違和感無く成し遂げました。
箸で食事をするのも器用ではないけれど、急がず食べるぶんには支障無しでした。
ただ、麺類を食べるのが難しかったです!
ラーメンの汁が顔のあちこちにはねたり、麺をちゃんとつかめている間に急いですすろうとしてむせたりしました。
あと、右手より使っていないぶん、筋力がありませんでした。
包丁で野菜を切るにしても、左手だけでは硬い野菜が切れませんでした。
握って切るタイプの芝刈りハサミを使う時も、右手よりもすぐに疲れが溜まってしまいました。
気づいたこと
左手で何かをしようとする時には、右手と比べた時の不器用さや弱さがありました。
それだけではありません。
左手で何かをする時、右手用に作られた物や状況が、余計にやりづらさを加えてくるのでした。
例えば、私の家の玄関の鍵穴は右の端にあります。右手ではすんなりと開け閉めできるのに、左手でやろうとすると体をひねらないといけません。
妹は完全に左利きなのですが「急須が憎い」と言っていたことを思い出しました。
左手でお茶を注ぐ時には、お茶を手前ではなく外側に注ぐことになるからです。たしかにそれではやりづらいことこの上無しです。
左手でやってみて良かったこと
新居に越してから特に、外出する時に玄関のカギを閉めたかどうかをはっきり覚えていなくて確認しに戻ることが増えていました。
それがあまりにも多くて、5才の息子にもあきれられていました。
だんなにも「指差し呼称を実行せよ」とさんざん言われていました。指差し呼称をすることすら忘れてしまってなかなか習慣づけられませんでした。
鍵の開け閉めを左手ですると「閉めた!」という意識がはっきり残りました。
おかげでこの1週間は鍵の確認に戻ることがありませんでした。
右手で施錠する場合、ほとんど無意識のうちに行為を完了できてしまうんだなーと思いました。
無意識に鍵を閉める瞬間の意識は、「今でない、どこか」にあったということなんだろうなと思います。
マインドフルネスが目指す「今、ここ」への集中の真逆に行ってしまっていたんでしょうね。
器用さと不器用さ
利き手の機能が大人だとすると、逆は幼いこどもみたいなものと本に書かれています。
または不器用な人や体が不自由な人とも捉えることができるともあります。
なので、この練習によって、そのような人たちへの共感が生まれるとのことです。
左利きの人たちがふだん感じている苦労も少しわかりました。
私は5才の息子にちゃんとしろとか、早くしろとかよく言うけれど、息子が目の前のことにいたってまじめに取り組んでいる時にもそういうことを言ってしまっているんだと思いました。
以前、幼稚園の子育て相談の場で、軍手を2重にはめた状態で折り紙を折るように言われて苦労したことがあります。
こどもの手先の不器用さを味わうのが目的でした。
お年寄りの感覚の体験をするために見えにくいメガネをして、耳栓をして、体に重りをつける体験も、おそらく小学校の授業でやったことがありました。
奥さんが妊娠しているだんなさんに妊婦体験をさせる機会も増えてきているみたいです。
ふだん、他の人たちも自分と同じ感覚でいると思いがちですからね。
さらには人それぞれ考え方が違うということも受け入れやすくなるかもしれません。
「深い教訓」より
同じ練習をする予定の人は、以下はネタバレになるので読まないでくださいね。
この練習に関してふたつの深い教訓が書かれていました。
ひとつめ。
習慣がどれほど強大で無意識的なものか
その習慣を、
変えるには意識の集中と決意が必要である
とあります。
自分の意志決定がないまま従っている習慣もあるものです。
私は"ルネサンスごはん"の考えに共感して以降、米(無洗米ではない)を研がないことにしたのですが、計量後の米を無意識に洗おうとして水を入れてしまっていたことが何回もありました。
ありふれた習慣ひとつひとつに対して、自分の意志を確認していっても良いのかもしれません。
流されっぱなしだと自分の意志も分からなくなってくるんじゃないかと思います。
そして、なんとなく入れてもらっているレジ袋など、習慣に流されて無駄になっているエネルギーも膨大だと思います。
深い教訓、ふたつめ。
新しいスキルを習うと、自分のなかには未開発の能力がたくさん眠っていることに気づきます
新しい可能性は初心から生まれる、ということが書かれていました。
初心にある時は、新しいことや慣れないことに集中して取り組んでいます。マインドフルネスな状態です。
それが、慣れてくるとほとんど無くなってしまうんですよね。
意識は集中しないし、楽しようとするし、ながら行為になってしまうこともあるかもしれません。
だんながボクシングを始めてもうすぐ半年になります。
だんなは、先生のひとつひとつのパンチやステップ、攻防の流れを録画して熱心に見ることを続けています。
私はだんなのことを初心者としてずっと侮っていましたが、今では先生の動きをそっくりにコピーして身につけただんなの方が威圧感があります。
だんなと私では練習に対する姿勢が全然違っていたのでした。
でもこの練習で、どんなことでも初心に戻ることが可能なこともわかりました。
ボクシングもただの運動ではなくて、上達することを目標にやり直してみようと思いました。
また実戦練習中に、昔1度だけ経験したことのある、ありえないくらい集中力が研ぎ澄まされたような状態になれるのも期待しています。
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