マインドフルネスの入り口はこんな感じ?-マインドフルになっているであろう瞬間を考えました
りんごをかじって食べてみた息子の様子から
シナノゴールドという品種に出会って以来、わが家ではりんごを常備しています。
だんなが冷蔵庫からりんごを取り出して丸かじりで食べ始めたところ、息子も同じようにして食べてみたいと言い出しました。
だんなのかじったところは嫌だと言って、まだかじってない部分にかぶりつきました。
でも歯が立たなくて一向に食べられない息子はいらだってきました。
「かじってあるところから食べてみたら?」と促してみたら、息子は不満そうな表情をしたものの仕方なくその通りにしました。
そこからやっとかじり取ることができて、しばらく無心でかぶりついていました。
息子もシナノゴールドが好きですが、切って与えた時よりもずっと夢中になっていました。
たくましく食べる様子を見ると、生きる力が付いてきているのが伝わってきて私もうれしいです。
古い知り合いに、上品に育てられた女の人がいました。
彼女は、バナナにそのまま口をつけて食べることができません。ナイフとフォークが無いと食べられないと大まじめに言うのです。
気取ってると思うよりもかわいそうになりました。
自分が子育てをしている今、こどもに本質的な生きる力を付けさせられたら良いなと思いつつ、少なくとももともと持っている生きる力を奪いたくはないなと思いました。
りんごを無心でかじっている時の息子は完璧なまでにマインドフルな状態だったはずです。
口にしているりんごをどうかじったら食べられるのか考えて試行錯誤しながら、全ての感覚がりんごを食べて味わうことに向けられていました。
▼汁の吸い方も発見したようです
身近な人のマインドフルであろう瞬間
マインドフルネスに目覚めたとは言えなくても、マインドフルな瞬間を過ごしていることはあります。
まず、私の場合。
最近では何と言っても、草刈りをしている時がマインドフルだと思います。雑草管理というと大変というイメージが定着していますが、私に取っては癒しの時間になっています。
草を刈っていると芝刈りバサミが気持ち良い音を立てます。土の匂いに草の匂いが混ざってきて、日差しを浴びている自分がまた気持ち良いんです。
この前は、このへんで止めようかと思いながらもなかなかケリをつけられずに庭と駐車スペースの全てを一気に刈り込んでしまいました。実は、電動バリカンも買って併用しました。
作業時間は休憩無しで2時間でした。休憩くらい取った方が安全面からも良さそうですが、中毒になったかのように刈っていました。
体も意識も目の前の草を刈ることに集中していました。
また、本格的にボクシングを練習していた頃のマインドフルな経験を書こうと思います。
マスボクシングやスパーリングなど、試合形式の練習も数多くやっていました。
そんな練習を100回以上やってきたと思うのですが、そのうち1回だけ、極限まで集中できていたことがあってその時のことをよく覚えています。
毎回まじめに取り組んでいたつもりなのですが、なぜかその時だけは相手の小さな動きのひとつひとつが冷静によく見えていました。
以降はどれだけ集中しているつもりでも、その時のような感覚になれることはありませんでした。
これからマインドフルネスに目覚めたら、またあの感覚でボクシングができるかもしれないと期待しています。
では、だんなの場合。
だんなは掃除が好きです。掃除をすると気持ちが良いと言って、進んで掃除をします。
前向きに掃除をしている時というのは、目の前の汚れを落とすことに体も意識も集中しますよね。
また、トイレ掃除が運気アップにつながるという話をよく聞きます。
ある人の話によると、便器に精神的にも物理的にもより近づいて掃除する方が効果があるとのことです。どういうことかというと、ブラシを使うよりも、究極のところ素手で洗うのが最高の効果をもたらすということです。
私にはマネできないなと思って記憶から消えかけていた話でしたが、たしかに素手で洗うと掃除対象の汚れの感触をまともに感じるはずです。
最近ではタワシでもブラシでも柄付きのものが多くなってきました。家にも柄付きの掃除用具がたくさんあります。柄が付くことによってますます汚れの感触から遠ざかっている気がします。
汚れと感触を通して向き合う瞬間はまさにマインドフルだと思います。
私の叔母の場合。
30年近く前の話です。私は父、母、妹と父方の祖父母とで6人家族で暮らしていました。
私が小学生の時、そこに父方の叔母が娘ふたりを連れて4〜5年ほど同居している時期がありました。
9人でひとつの風呂、トイレ、電話回線を共有していたのでした。
私は、お姉さんがふたりも一緒に住むことになってうれしかったですが、私の母や叔母の暮らしづらさは今になってありありと想像できるようになりました。
叔母は、夜な夜なごぼうの千切りをしていました。決してごぼうが大好きなわけではありません。その作業によって癒しが得られていたと推察されます。
ごぼうをひたすら切り刻む瞬間、マインドフルな状態になれていたのだと思います。
まとめ
マインドフルネスの練習に取り組み始めたばかりではありますが、入口からのぞき見たマインドフルな世界はこんな感じかなというところを想像して書いてみました。
マインドフルネスの概念は、何かしらの取っかかりがあると理解したり体得しやすいのかなとも思います。
「今、ここ」の表すところの概念は相当に深そうです。
また、マインドフルネスによる「気付き」にも終わりは無いと言われています。
マインドフルネスの練習でどこまで深い気付きに到達できるか楽しみです。
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