タテワレ・デイズ

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野性的な体で社会生活したい主婦のブログ 腹筋縦割れを再び目標に掲げ、今度こそまぶしい縦割れをものにしたい! でも横割れまではいらないかな お気楽なエコ思想がライフワーク 健康管理・子育て・自分のブロック解放などについて書いていきます

自由な絵を描けますか?-自由画や想像画が描けない理由は!?

 

同じ顔が並ぶ「お父さん」の似顔絵

今日は父の日でした。

 

父の日が近づくと街のあちこちで、こどもたちの描いたお父さんの絵が展示されています。

 

そして、ある幼稚園の展示スペースを見て違和感を感じました。

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何もかもが集団で酷似しているように見えませんか!?

選ぶ色が違うくらいで、構図も顔のパーツの描き方も服装も背景も同じです。

 

身近なところでその幼稚園のことを知っている人がいたので聞いてみると、その幼稚園では絵の描き方を細かく指示するそうです。

数十年前からずっと変わらずにそういう教育方針が続いているそうです。

 

何かの目的があってそういう教育なんだろうけど、事情を知らずに通りすがりで絵を見る立場としては不気味なものがあります。

 

小学生の頃に描いた絵の思い出 

私にとっても絵と言えば、先生の指示に従って描くものだった記憶があります。

 

1年生の時は、顔にシワを描くように、そして絵の具で色を塗る時は少しずつ色を変えて筆の跡を残してモザイクのように着色するように、先生がクラスの全員に強く指示してきたのを覚えています。

私がその通りに描いた絵は入賞し、どんどん上の作品展に出品されて受賞を重ねていきました。

受賞が止まった時の、先生や親たち大人の残念な思いが伝わってきたのも覚えています。

いくつかの作品展の賞を受賞したその絵は、最終的にどこかに収蔵されて私のもとには戻ってきませんでした。

その絵は私のものではないのだろうかと疑問に思いました。

 

何の絵だったかというと、学校の授業で友達同士で取ったすもうが楽しかったのでその様子を思い出して描いた絵でした。

その絵のことをすごいねと言われるよりも、すもうが楽しかったんだねと言われたかったです。

 

2年生の時はクラスのみんなで虫取りをした時の絵を描きました。やっぱり、その経験が楽しかったからです。

1年生の時のことがあったので先生にも親にも入賞を期待されましたが、何も受賞しませんでした。

顔がマンガっぽくなってるからダメなんだとか、大人たちには賞を取れない理由についての感想を言われました。

もちろん、その絵は小学校の展覧会が終わるとすぐに返ってきて自宅に持ち帰るように言われました。

 

3年生の時は、学年全員で近所の市場に出かけて行って各自好きなお店をスケッチしました。

私はいつも母が野菜を買うなじみの八百屋のおばあさんのお店を選びました。

やはり賞には至らず、母親はおもしろくない態度を隠しませんでした。

 

4年生の時のテーマは家族でした。

ちょうど父が車の免許を取って車を運転するようになったばかりだったので、洗車している様子を描きました。

金色と銀色の絵の具を個人的に持っていたので使ったところ、友達に指摘されました。

「金とか銀を使うと賞を取れないんだよ」と。

その友達も親が過度に期待するタイプで、勉強でも習い事でも常に親からの指示を受けている子でした。

やはり受賞はしませんでした。

 

5年生では、学年で近所の神社に出かけてスケッチしました。

この年は年配の先生に受け持たれていて、なんと私の描いた絵に勝手にペンで線を描き足してきたのでした。

「左右対称だと賞を取りにくいから」と、神社の屋根の片側を膨らませてきました。

賞を取るために絵を描かされているんだな、とこの時はっきりと意識しました。

この年は小さな作品展の賞を取りましたが、先生の手が入ったのが良かったのか何なのかもうよくわかりませんでした。

受賞しても全くうれしくありませんでした。

 

6年生の時には、近所の川に学年全員で出かけて行って船のスケッチをしました。

そんなに古くもない船を選んで描いたにも関わらず、私は船にサビをいっぱい付けて重厚感を出そうとし、晴れていた空も重苦しい曇りにしてやはり迫力を出そうとしたのを覚えています。

もう、求められているものに答えようとしている自分がいました。私の描きたいものは無くなっていました。

 

中学・高校の時はひたすら模写

中学では美術部(親に決められた)に入り、高校では美術の授業を選択しました。

 

見本に忠実に描く技術を身に付けて、そっくりに表現できればできるほど気持ち良かったです。

 

スケッチブックは現在行方不明ですが、写真に残してあった画像があります。

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細かいところは画像のサイズが小さくて潰れてしまってますが、本物は異常なくらいに描き込んであります。病的です。

もうそんな集中力は出せません(笑)

 

テキトーになった絵

大学生になってもたまに絵を描いていました。

模写で細かく描き込むことに意味を感じなくなっていて、逆に簡略化していくことが楽しくなりました。

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やはり変わらないのは「何かを見て絵で再現する」というスタイルです。

 

自由に想像したものを描くことは今もできません。

これからも簡単にはできそうにはありません。

 

自由に描くためには、自信が必要みたいです。

以前お会いしたことのある絵の先生がそうおっしゃっていました。

その先生によると、過干渉に育ったり、自分で表現することに自信が持てないと自由に絵を描くことができなくなるようです。

自分の好きなように描いてみるように言われてアニメのキャラクターを描いたりするのは、自己表現からの逃避だそうです。

 

自分のことを振り返ると、小学校の頃にはまだ、純粋に絵を描かせてほしかったなと強く思います。

 

 

▼こどもたちの自由な絵から心を分析する先生についての記事

www.tateware-days.com