欲しくないものをもらうことが続いている話
クリスマスシーズンということもあって余計に、頻繁にいただきものをするようになりました。
問題は、欲しくないものをいただくことが急に増えていること。
プレゼントにはくれる人の好意や気持ちがこもっていると思っているので、突き返すこともできません。
そうは言っても自分の気持ちも大事です。
育てきれない植物とか、たくさんあっても仕方ないものをもらっても困る部分があります。
植物→世話をするのは私でしょ!?枯らしたら罪悪感感じるじゃん。
モノ→過剰にあって無駄。物質にあふれていて嫌だな。処分する時は罪悪感感じるじゃん。
こんな気持ちになります。
欲しくないのにいただいたものが立派なものであればあるほど強くそう思います。
そして、こう思います。
せめて事前に聞いてくれたらいいのになーと。
そうすれば、いらないならいらないと伝えられるし、選択肢があるなら選べただろうにと。
変化球の"欲しくないもの"
そんな現象が続いていたある日、こんなことがありました。
新そばの季節らしく、この前の日曜日にはあちこちで新そばイベントが行われていました。
イベントに行きそこねた私は、そば屋さんを2軒まわりましたがどちらも「本日休業」。
多くのそば屋さんが新そばのイベントに参加していて店を閉めていたようです。
えび天の乗った温かいそばが食べたくて仕方なかった私は、おあずけ状態になってました。
翌日の月曜日は、近所のそば屋さんの定休日だったので、火曜日の昼に開店と同時に入店しました。
えび天の温かいそばを頼んだところ、そばが柔らかくなるから出せないと断られました。
えび天の乗った温かいうどんなら出せるとのこと。
仕方なく、冷たいそばとえび天を頼みました。
私の欲しかった「温かいえび天そば」は物理的にはできるにもかかわらず、そば屋さんのこだわりに反するために作ってもらえませんでした。
これも"欲しくないもの"を呼び込んでいる現象だな、と思いました。
なぜ欲しくないものをもらうのか
この現象について、フラクタル心理学を用いて考えました。
まず、私自身が他の人にその人が欲しくないものを与えているんだと受け止めました。
すぐ思い当たったのは、だんなに出す食事の温度にこだわっていること。
私は、熱いものは熱々なうちに食べてもらいたいと強く思っています。
だんな自身はそれほどこだわりがないし、むしろゆっくりくつろぎながら食べたい派なのでお互いの願望がすれ違います。
また、私は心配性なのですぐ人の心配をします。
過剰にかけられる心配も、かけられる当人からしたら欲しくないものに違いありません。
処理できていない昔の感情からの分析
また、以前にも同じような感情を伴うことを繰り返し経験しています。
その感情を処理できていないから、堂々めぐりの現象を起こしているのです。
「欲しくないものをもらう」経験で真っ先に思い浮かぶのは、小学校入学の時に買ってもらったランドセルのこと。
私は、ごく普通のランドセルが欲しかったんです。
赤い色でツルツル素材の、みんなが持っているのと同じのが良かったです。
それが、私の母を中心に、大人たちでちょっと変わったランドセルに決めたのです。
色は暗い赤で、シワシワ素材で、私には愛せませんでした。
そんなのは嫌だと言いましたが、こっちの方が高級なんだとか、馬のお尻の皮を使っているんだとか、私の選択基準外のことを説明されて丸め込まれました。
これは、4年生になって学校で習字を始める時にも同じことが起こりました。
みんなと同じ赤い習字バッグのセットが良かったのに、母親からはくすんだ赤の習字バッグセットを買い与えられました。
これらの経験から、自分に選ばせてほしい、決めさせてほしい、という感情を今になって取り出せました。
「自分で選びたい」あれこれ
「自分で選びたい」というこの感情は、積極的な姿勢が評価されやすいのでそこにうまく傲慢さが隠れて問題を起こしているように思えます。
この感情をどう扱えば良いのか現段階では私にははっきりしていません。
ただ、これまで生きてきて「自分で選びたい」が強く出すぎていた部分がかなりあったことに気がつきました。
志望校にせよ、付き合う人にせよ、仕事にせよ、この感情が強く出すぎて不幸を作っていたことにやっと気がつきました。
志望校については自分の希望をいきなり通そうとしたので、親からも学校の先生からも塾の先生からももっと上を目指さなきゃダメという姿勢で来られました。
有名大学に入れたいのは大人の見栄のためだろうと当時から反発していましたが、私には希望の大学に行かせてほしいという態度が無かったのが反省点です。
勉強したいことができる学校を見つけた。だからここに行きたい、行かせろ、親なら認めろ。
極端に言えばこんな態度でしたから。
付き合う人についても同じです。
学生時代には私に好意を寄せてくれる人がいましたが、私は自分が先に好きじゃないと付き合いませんでした。
それをいかにも清純なことのように思っていて、この考えの中にある「自分に選ばせろ」要素には気づいていませんでした。
就職するにあたっては、就活で会社側から選ばれるだけではなくて自分でも会社を選んでやりたいと思っていました。
根拠のない自信にあふれていた大学時代とはいえ、とんがってましたね〜(゚o゚;;
今回はここまでです。
思考の修正までは到達できていませんが、少なくとも「自分で選びたい」気持ちにしっかり共感しておきたいです。