おばあちゃんの面会に行ったこと-息子を連れて介護施設へ
帰省した時に、介護施設に入っている祖母のところへ行ってきました。
93才です。
祖母は半年前に話せなくなりました。
祖母はおしゃべりでずっとしゃべっている印象だったので、話さなくなったのは衝撃でした。
さらにその前の話。
介護施設に入ってから初めて面会に行った時には、家にいた時の祖母と髪型が全く変わっていたことに衝撃を受けました。
私が物心つく頃から祖母は、黒髪に染めて、全体的にパンチパーマでした。
それが、真っ白なストレートヘアになっていたのです。
こだわりの髪型にすることができなくなってかわいそうだなと思いました。
気力も体力もなくなったんだなと思いました。
自宅介護から入所へ
祖母は昨年の冬に施設に入所しました。
その頃には自分で自由に動けなくなっていて、数時間ごとに私の両親が祖母の体位を変える必要がありました。
新潟の冬は寒いです。
夜も決まった時間に起きて介護をしなければいけません。
そんな老々介護をしていたところ、施設に空きが出て入れることになったのです。
入所してからも、祖母は少しずつできることが減っていきました。
話すことができなくなり、流動食を経鼻で取るようになり、手を振ってさよならすることができなくなりました。
今は視線で私たちのことを追います。
私は息子を連れて面会に行ったのですが、祖母のひ孫にあたる息子のことを目で追っていました。
黒目って、元気な人でも思いっきり端まで動かすとめまいがするほどですが、祖母は思いっきり端まで動かして追っていました。
祖母のすごいところは、衰える一方ではないことです。
施設では車椅子に乗せてもらって散歩をするそうなのですが、祖母はそれももうできないからと、施設のほうから靴を引き取るように言われたそうです。
しばらくして、やっぱりまた車椅子に乗れるようになったからまた靴を持ってくるようにと言われたそうです。
今回面会に行った時も、ベッドの脇にしっかり靴が置かれていたのがうれしかったです。
おじいちゃんおばあちゃんの習字
施設では、秋の文化祭シーズンで、入所している人たちの作品が展示されていました。
あるおばあちゃんは習字でいろいろな単語を書いていました。
「娘たち」
「孫」
「りんごジュース」
好きなものを書いたんだろうなと伝わってきました。
そのおばあちゃんが書いた何枚もの色紙からはパワーを感じました。
中でも、
「夢」
という作品を見て心が動きました。
そのおばあちゃんの夢は何だろう?
私の祖母の夢は100才以上生きることです。
以前からよく、100才は通過点くらいに言っていました。
今もその夢は認識しているんだろうか?と思います。
元気で100才を喜べたらいいのになと思いました。
以下は妹から聞いた話です。
私の祖父は亡くなって10年以上経ちます。
時々、介護施設のデイサービスを利用していたそうです。
施設で習字をする時間があった時に、祖父も何か書くように求められたことがあったようです。
自分のことはいつも後回しで、恥ずかしがりやで自分を表現することがあまりなかった祖父は「書くものがない」と言ったようです。
「いいや、いいや、おれは書かなくていいや」と何度も言っただろうなと想像がつきます(^.^)
施設のスタッフに好きなものを書けばいいんですよと言われて、
「いか」
と書いたそうです。
ひとつ書いたら止まらなくなったのか、
「たこ」
「いくら」
という作品も持ち帰ってきたと妹が言っていました。
焚きつけてくれる人の存在はありがたいですね。
自分では制限していた何かを外すきっかけをくれる人。
自分自身でも驚くようなものを生み出したりできますもんね。
息子の反応
息子は、祖母が弱々しくなって、話せなくなっていたことにショックを受けてしんみりしていました。
息子は実家でいたずらをするとよく祖母に注意されていました。
もう注意されないことについて喜ぶというより、注意されないという事実に伴う責任を肌で感じているかのようでした。
祖母に面会するにあたっては、名前や関係を記入する必要がありました。
私は「孫」に丸をつけましたが、「ひ孫」にあたる選択肢はありませんでした。
仕方ないので、その他に丸をつけて「ひ孫」と書いてきました。
祖母には6人のひ孫たちがいます。
ひ孫だって面会に来ることがあるんだ!と、なぜか強調したい私です。