運呼プロジェクトその後-下痢でデトックス そして、ほめたたえられ続ける日々
下痢の相似形
先週の木曜に突然おなかを壊しました。
私が腹痛を伴っておなかを壊すのは年に1回か、あっても2回くらいです。
(スギ花粉の時期はおなかが痛くない下痢になります。)
ひとつの現象として分析したいので、詳細に書きます。
下痢の時。
私は昔から下行結腸がウィークポイントなので、そこが炎症しやすいのか痙攣しやすいのか、その部分を便やらガスやらが通過する時には激痛を感じます。
下行結腸はおなかの左側の部分です。
高校時代に過敏性大腸炎だった時には大腸内視鏡検査も受けましたが、下行結腸部分がねじれていて内視鏡が通過できませんでした。
なんとか通そうとされたので、検査が終わった後もつつかれた痛みが残ってつらかったです。
結局通らなくてその部分までしか検査できなかったという…
今回も下行結腸部分の痛みに襲われて苦しみました。
そこはそーっと通ってくれ~!と、便とガスに祈りました。
痛すぎると、腸が破れるんじゃないだろうか!という余計な不安まで出てきます。
下痢で腹痛が強い時には毎回出産のことを思い出します。
「もうこんな痛みには耐えられない、もう子供は産める気がしない!産まないから許して~!!」と思います。
今回の下痢はおそらく、この前に実行した「運呼プロジェクト」のデトックス現象なのだろうと捉えています。
住んでいるところの掃除は体内のデトックスと対応しているものらしいです。
運呼プロジェクトを実行するにはかなりの気合いを入れたので、デトックス現象も強めに現れたのでしょう。
デトックス現象の後の…ほめたたえられまくり現象!
翌日の金曜日。
買い物に行こうとスーパーに向かうと、自宅の近くで下水管掃除の作業が行われていました。
作業に伴って道幅が狭くなっていて、ポールとフェンスで仕切られた間を通行するようになっていました。
私は自転車に乗っていたのですが、作業員の人に、自転車から降りて押して通るように言われました。
狭められていたのは道路の左側でした。
私の向かう進行方向に対して、まさに下行結腸と同じ配置です。
通路が一時的に狭くて危ないから、そ~っと通るように指示されて従う自分。
自分自身が、まさにあの下痢の時の便になった気分です。
(家のトイレがきれいになった後に、私の腸がきれいになる現象が続き、さらに自宅付近の下水管まできれいになりました。
ここまでの全てが相似だと思いました。)
通路を抜けた先に、知り合いのお母さんがいました。
その場で突然、私のことをほめてくれました。
私がボクシングをはじめとしてあれこれいろんなことをしているのがすごいとほめられ、ついでに息子のことまでほめられました。
うちの息子があれこれいろんなことに夢中になって取り組んでいるのも、私に似たからだとそのお母さんは言ってくれました。
なるほど、そういう見方もあるのか。
その翌日の土曜日。
和太鼓の練習に行くと、ひとりの先輩お母さんが股関節が痛いと言っていました。
実は、和太鼓を打つ時には股関節を酷使します。
1時間打つならその前に20分くらいの股関節ストレッチが必要と言っている人もいるくらいです。
聞いてみたら、その場で整体を受けてくれるとのことだったので受けてもらったところ、動かせる範囲が広がって喜んでもらえました。
私のことを多才だとほめてくれました。
そっか、私は多才らしい。
その翌日の日曜日。
昼に和太鼓のイベント(昨日のブログ記事に書いた「鳥追い」)に参加して、家に帰ってすぐボクシングの練習に行きました。
だんなは私がボクシングの練習を休むと思ったらしく、「元気だねー」と言われました。
普段、他人を、特に私をほめないだんなが!!!
この日は太鼓のイベント会場でも、ほめられていました。
演奏が終わって、早速たき火でいろいろ焼こうとして興奮して準備していたところ、ひとりのおばさまに話しかけられました。
上品なおばさまです。
「女性が和太鼓を打つとまた恰好いいですね」と言ってくれました。
私はすっかり着替えも済ませて普段着だったのに、「太鼓を演奏してらした方ですよね?」と話しに来てくれたのでした。
人の前で演奏するということは、はっきり認識されるということなんだと思いました。
いい感じに緊張感が出てきます。
そして今日。
出かけようと思って自転車に乗ろうとしたところ、お向かいさんの窓が開いて、家の中からおばあさんに声をかけられました。
「このあいだはありがとうございました」
と言われ、前回会ったのがさらに前の週に出た和太鼓のイベントの時だったので、その時のことを言っているのかな?といまいちピンと来ずにいました。
そうしたら、やはりそのことだったらしく、「太鼓の演奏が良くて感心しました」と言ってくれました。
こんな感じでほめられることが続いているわけです。
やってるだけですごい
私は、ボクシングも和太鼓も、やってるだけですごいとは思っていませんでした。
ボクシングの試合に出たこともあるけど勝ったことはありません。
和太鼓だってまだ新入りです。
やっと曲を覚えてきたところで、うまく演奏できているわけではありません。
だから、すごくなんてないと思っていました。
自宅でやっている整体の仕事もそうですね。
近所のおばあさんがたに、
「整体の仕事をしてるなんて、えらいわー!すごいわー!」
と言われたことがあります。
その時すかさず、整体を実際に受けてもらって言われているわけじゃないからと、
「上手くないかもしれませんよ?すごくないかもしれませんよ?」
と答えていましたね…
今年の初詣の時期に、境内で和太鼓の演奏をしている神社があったので、演奏を聞きに行きました。
出演する和太鼓のメンバーが準備をしていると、「和太鼓だって。すごいね。」と言って立ち止まって聞いていこうとする参拝客がいました。
私は違和感を感じました。
まだ演奏を聞いたわけでもないのに「すごい」と言っていることに。
その人はきっと、やってることをすごいと感じているんだ、と思ったら、やってるだけですごいという感覚がわかってきました。
その感覚を許せるようになったような感じです。
私は実績を重視しすぎていたようです。
このところの「ほめられる現象」のたびにも、やってるだけですごいと認めることを思い出して、ほめてくれるみなさんの言葉をありがたく受け取っています。
そしてたぶん、何かを好きでやっていること、それ以前に何かを好きなこと、それだけでもすごいと認めても良さそうです。
すごいと言えば、年が明けてから太鼓を打った日数がすごいです。
4日〜14日までの11日間に6日でした。
この間、2日あればどちらかの日には打っている計算です。
マイ太鼓は持っていません。
練習に参加するか、イベントに参加しないと打てません。
通常練習は毎週土曜日の夜です。
太鼓を習い始めるまでの土曜の夜は何してたっけ?と思うくらい、すっかり私の生活の一部になりました。