タテワレ・デイズ

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野性的な体で社会生活したい主婦のブログ 腹筋縦割れを再び目標に掲げ、今度こそまぶしい縦割れをものにしたい! でも横割れまではいらないかな お気楽なエコ思想がライフワーク 健康管理・子育て・自分のブロック解放などについて書いていきます

大学時代に寮で生活したこと②-自信のあった当時にずっと依存していたけど、やっと気持ちが卒寮できた

 

卒業・卒寮後の交流 

大学を卒業してからも、寮で一緒に過ごした人たちとの交流は続きました。

 

就職すると、寮生たちは全国各地に散らばってしまいました。

 

それでも!

「新宿で集まるよ」という話になれば、九州から泊りがけで参加する人もいました。

 

特に大規模な集まりがあったのも新宿でした。

私の学年の上の代は3代、下も3代くらい集まったので、直接一緒に寮で生活したことのない人同士も集まっていました。

 

当時、私は都内から離れたところに住んでいたので、その日の最後までは一緒にいられませんでした。

 

お店を何件かはしごした後、コマ劇場の前で寮の歌を歌ったそうです。

円陣を組んで。

怖いものがなくなるこの感じがたまりません。

 

 

また別の機会には、スーパー銭湯に行く企画がありました。

この時も何代かの人が集まりました。

 

ササッと脱いでお風呂に入る様子は、寮で生活していた時と変わりませんでした。

日常的にお風呂に入っていた関係なので恥じらいはありません。

 

 

そんな寮生どうしの交流も、結婚や出産で次第になくなっていきました。

いつまでも関係を続けることはできないんだという現実に、寂しいな…という気持ちが湧いていました。

 

でも私も結婚しているし、こどももいるし、仕方ないことは分かっている、と寂しい気持ちを隠していました。

自分自身に対してもその気持ちを隠しました。

 

そうしたら…

 

深層意識まではごまかせないものですね。

寮の夢をよく見るようになりました。

 

 

よく見た夢

よく見た夢には、2種類ありました。

 

ひとつめは、大学を卒業して寮を出ていくシーンです。

 

夢では実際のシーンがさらに寂しく強調して修飾されていて、寂しい感情MAXのところで目覚めるほどでした。

 

もうひとつは、妊娠していたり、息子がいる状態で寮で生活している夢です。

 

女子寮の厳格な規則として、寮の敷地内に男性を入れてはならないというものがありました。

門限も無く自由な寮でしたが、この規則は代々守られていました。

たとえ幼い弟がいたとしても寮に入れてはいけません。

 

なので、夢の中の私は肩身が狭い思いでコソコソと生活しているのでした。

 

 

これらの夢については、見ないようにするところまで処理できました。

できたのは2年前のことでした。

本で読んだNLPの手法を自分で試して成功しました。

脳の働きを利用しました。

 

自分目線で思い出される映像を、まず、他人目線で客観的なものに変換しました。

その映像と音声を脳内で倍速再生、さらに4倍速再生しました。

逆再生もしました。

最後には映像をバラバラにして粉砕しました。

 

これは、対症療法として効果がありました。

 

それ以降、寮に関する夢を見なくなりました。

 

それでめでたしとしたものの、結局は寂しい感情に機械的にフタをした感じでした。

 

 

寮生活への執着

大学を卒業して、会社勤めをして、結婚生活、子育てを始めても、「寮の時は良かったな~」と思い出すことがしょっちゅうありました。

 

自分が置かれている環境に満足できない時があると、寮のことを思い出して癒されてみるのですが、もうそこには戻れないことに寂しくなりました。

 

大学時代の4年間すべてを寮で過ごしたんだから、じゅうぶんなはずなのに。

 

いつまでも寮に執着していることは、マイナスを産むばかりです。

 

新しい環境で新しい人間関係を作る時にも、寮での距離感を持ったままなので、少しわかり合ったくらいでは仲が良くなったと認められないのです。

 

もう寮で出会ったような親しい友達はできないんだ、と決めている自分がいます。

 

 

なにかにつまずくたびに寮のことを思い出していたのはなぜか?

 

私がよりどころにしていたのは、楽しい寮生活を送っている自信のある自分の姿だったんじゃないかと思います。

 

入寮した当時のビクビク、オドオドに比べたら、自信があることはもちろん良いことです。

 

でもその自信を今の自分から振り返ってよくよく見てみたらどうでしょう。

 

学生であるのをいいことに、責任もなくやりたいことをやれていたその状態での自信ですからね。

 

掃除だって、一緒に生活している人の人数が多かったので当番じゃない日は何もしなくてよかったんです。

何もしなくていい日が多かったわけです。

 

自分も使ったところを他の人が整えてくれて、他の人が準備をしてくれたお風呂に入って。

 

分担というシステムに依存していました。

 

今は、毎日が当番みたいな立場(笑)

 

 

これらのことから、当時の自分の方がその後の自分よりすばらしい存在だと思っていることが間違いだったとようやく気付きました。

 

今のほうがちゃんとやれているということを認識できるようになりました。

 

こうしてやっと、気持ちの上でも卒寮できました。

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4年単位での成長

今回、寮に依存している気持ちを分析してみてわかったことがあります。

 

成長を確かめるのに、4年単位で振り返ってみると捉えやすいということです。

 

入寮した時の自分から見て、4年後の卒寮する頃の自分は、憧れを持つほどの人物だったことでしょう。

それこそ、話しかけるとかんじゃうくらいだと思います。

 

 

今は息子が6才ですが、息子が2才の時の自分はどんなだったか。

 

子育て中の母親同士の集団になじめず、一匹狼スタイルで過ごしていました。

 

ひとりで育児する時間が苦痛で、ファミリーサポートのサポーターさんにしょっちゅう面倒を見てもらっていました。

 

だんなが帰って来るまでの夜の時間も、息子と過ごす時間に煮詰まっていました。

 

車の運転がとにかく怖くて、しようとしませんでした。

運転するくらいなら不便に耐えてやる!って。

 

近所の子に話しかけられても何を話していいのかわからなくて苦痛でした。

しかも、こどもたちの顔がみんな同じに見えて、顔も名前も覚えられる気がしませんでした。

 

こうして振り返っただけでも、4年前はそんなんだったっけ!?と思いました。

あれもこれも、いっぱいいっぱいだったとは。

 

その時その時には小さな積み上げを認識できていなくて自分にがっかりすることばかりのように感じていました。

でも実際は着実に成長して来れてるんだなーとわかりました。

 

これからの4年後とその先に向けて、理想の自分に近づけるように目の前のことをやっていこうと思います。

 

理想の自分というのも知らず知らずに上書きされ続けていたんですね。